3.11あの日

このところ感染症の話題ばかりで

気持ちが落ち着かない、落ち込んでしまう方もいらっしゃるのでは?と心配しています

心配しすぎることなく
楽観しすぎることなく

できる限り、自分だけでもご機嫌に過ごしていきたい

そうすることで接する患者さんやクライアントさん、家族が元氣にになってくれればなぁと思って過ごしています

さて、今日は決して忘れてはいけない
3.11

あの日、皆さんはどこにいて何をしてどう行動していましたか?

私は横浜港近くの大きな総合病院の1階小児科にいました

小児科の外来で検診を終えた生後1ヶ月のBabyを抱いたママ達に離乳食指導をしていました

ゴーーーと地面から音が

「あれ?ここの下って地下鉄走ってたのかな?」

いつもは聞かない音にそんな疑問を持ったことを覚えています。

その瞬間、突き上げるような大きな揺れがなんどもなんども

ガラスの向こうのタクシー乗り場で待っていたタクシーが4台が飛び跳ねるように上下にバウンドしていました。まるでおもちゃの車みたいに軽々と・・・

大きな建物の1階にいた私は

「あっ、きっとこのビルは潰れるから1階の私たちはもうダメかもしれない」

とっさに”死”を覚悟しました

ママ達が授乳するための給湯器の熱湯が揺れで溢れそうに・・・

とにかく、ママと赤ちゃんを避難させなきゃ!
安全と思われる場所に移動してもらい、一人一人タクシーや車に乗って帰路に着くまで見送って・・・
ホッとしたのが17時くらい。

小さな消防車が「津波が来るから早く避難してください」とアナウンスを続けていました。
いつもの川。何か変・・・
よく見ると流れが逆。
津波の前兆だったのですね。

横浜港は大きな津波は来ませんでしたが、それでも海から山へ向かって流れる川を見たときは異様な恐ろしさを感じました。

たまたま、本当に偶然、近くで仕事をしていた主人が迎えに来てくれていて、自宅へ向かうことができ、これでもう安心。・・・と思ったのも束の間、高速も閉鎖。道路は信号がつかないので大渋滞。

いつも車で15分のところをこの日は4時間。
22時を超えていました。

携帯電話は全く使えない状態の中、どこで知ったのか高校生の長男から緊急災害メールを利用して「こちらは大丈夫。〇〇(三男)は小学校へ迎えに行ったから安心して!」とメッセージが。
長男と次男は幸い試験中で12時には自宅に帰っていたので本当に助かりました。
もし、兄達も帰宅できず、三男一人だったら・・・と思うと怖くなります。

私と主人が帰宅したら、キャンプ道具からランタンを取り出し3人で楽しそうにトランプをしていました。
TVもつかないし暗いし、三男が不安がるから・・・と。

緊張の糸が切れ、ホッとしたこともあって
何だか子供達のその姿に泣けてきてしまった私でした。

遠くの空が赤々と燃えていました。
不安な夜。
地震でガスタンクが燃えていたのだと後から知りました。

次の日から電気も復旧し、被害が次々に更新され

自分の大変さがいかにちっぽけなことだったかを思い知らされました。

どれだけの人が
あの日、泣いたことか
どれだけの命が
あの日、悔しかったことか

あの日を忘れてはいけない

先日、福島県いわき市へ仕事で行きました。
街は綺麗でした
でも、担当者の方から、今もまだ残っている震災の爪痕の話をお聞きしました

だからこそ、今年はより強くこの日を想います

あの時のBabyちゃん達はみんなもう小学生。
あの時の三男と同じ歳。
みんな元気に大きく育ってくれていることでしょう

過去を振り返ることも時には必要。

あの日、悔しかった沢山の命の為にも、今をしっかり生きなくては。

今、私にできることをコツコツとーーー
感染症に負けない身体作りのお手伝い、明日からも頑張るぞ💪

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